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イチロー選手引退で考える「やりきった感」について

イチロー選手がついに引退を表明し、大きなニュースになっています。特に引退会見で語られた「言葉」は多くのメディアで取り上げられましたね。

イチロー選手の言葉がいつも私たちの心をとらえるのは、その言葉に「行動」と「実績」が伴っているからだし、並々ならない「努力」の積み重ねがそこにあることを誰もが知っているというところにあるのだと思います。

イチロー選手の引退で私は、彼の「やりきった感」を感じました。その爽やかさというかすがすがしさもまた、見ていて気持ちの良いものでした。

その時に私が思い出したのは、かつて仕事の同僚だった人が、「社内公募制度」で他の部署に異動した時に語った言葉です。それがまさしく、「今の仕事をやりきった感じがした」という言葉でした。

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その時、というか今でも、私が考えてしまうのは、「はたして自分は今までに何事かを『やりきった』ことなんてあるのだろうか」ということです。「いつも何か中途半端で不完全燃焼で未完成なことばかりだったのではないか」「何かに無我夢中になってみたい」「やりきった感を味わってみたい」という思いが込み上げてきます。

特に、社会に出る前から鬱病を患ってしまった私は、今まで何かにつけて、「頑張らない」「無理をしない」「自制する」ということを自分に課してきた気がします。でも、鬱であることと、無我夢中になれることを持つことは、両立できるのではないか、と最近は思うようになってきました。

無我夢中になれること、それを40歳を過ぎた今でもまだ探している状態です。まだ遅くはないよね、と自分に言い聞かせながら。

 

イチロー選手、お疲れ様でした。