ゆっくりやさしくていねいに暮らす

転んでもまた起き上がるための技術と方法

映画プリキュアが映画ではなく公開ライブだった件

先日、家族でプリキュアの映画を観てきました。

映画プリキュアミラクルユニバース

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これがもう何といっていいのか、

ストーリーというものがほとんどなく、

「ピンチが訪れる→プリキュアが戦う→それでもまたピンチが訪れる→再びプリキュアが戦う→またまたピンチが訪れる→やっぱりプリキュアが戦う」

ということの繰り返しです。

おそらく、プリキュアの変身シーンとか、戦闘シーン、道具を繰り出して敵をやっつけるところなどが子どものテンションが上がりやすいのでしょう。それを、延々と繰り返している感じでした。

子どもには一人一個ずつ、「ミラクルライト」と呼ばれる小さなライトが渡され、上映中も光をつけてプリキュアたちを応援します。

うちの子もミラクルライトをブンブン回しながら、一生懸命プリキュアを応援してました。もちろん他の子も。

 

この様子を見ていて、

「あ、これは映画なんじゃなくて、映画館で時々行われる公開ライブだな」

と思いました。ストーリーではなく、次々と繰り出される強い刺激でずーっとテンションを引っ張りながら最後まで観客が一体となってライトを振りながら盛り上がり、終わった後は、「あー楽しかったーっ!」となる。

 

さて、なぜこの話題をこのブログ「ゆっくりやさしくていねいに暮らす」で取り上げたかというと、この映画に現代社会の縮図を見たからです。

テレビで流される最新の話題・ゴシップ、SNSで発信される「いいね」を求める記事の数々、お買い得セール、ポイント還元、なぜかわからないがきっと裏がある「無料」を謳うサービス、強い刺激、溢れる情報、情報、また情報…。私たちはこうしたものに囲まれて、常にテンションが引き上げられ、他の人に負けじとその情報に群がる。

こうした「ゆっくりやさしくていねいに」とは反対の、強い刺激に反応させる「しくみ」が、小さな子ども向けの映画(というか公開ライブ)にも取り入れられていることに愕然としたのです。

 

もちろん、情報に乗っかることで楽しいこと嬉しいこともありますが、あんまりそれが続くと、少なくとも私はちょっと疲れてしまいます。眠れなくなることもあります。

 

こういう強い刺激物に疲れないためにも、情報に出会ったときに、それをよく理解し自分にとって本当に価値があるかどうかを判断し、取り入れるか取り入れないかを自分で意識的に決める、という工程があってもいいのかなと思っています。

 

「もう、プリキュアの映画には子どもを連れて行かない」と思っているわけではありません。なぜなら本人はものすごく楽しんでいたから。私だって、大好きなアーティストのコンサートでは盛り上がりますしね。

ただ、上に書いたような、「情報や刺激物に出会った時に理解し判断できる」ように子どもを育てていければな、と思っています。そのためにも、そういう情報から子どもを完全に「隔離」してしまうのも良くないと思うのです。

こういう事を、いつの時期にどういう風に本人に教えたらいいのか、これからも考える日々は続きそうです。

いいものを見せる、いいものに触れさせる、いいものとの出会いを大切にする。そういう親でありたいし、子どもはその背中をみて育つのかもしれません。